『憂鬱と官能を教えた学校』読み方


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憂鬱と官能を教えた学校

【バークリーメソッドによって俯瞰される20世紀商業音楽史】㊤調律、調性および旋律・和声

菊地成孔 大谷能夫

少し癖のある本なので、どんな風に読めばいいのかを書こうと思います。

1. 音楽の学習に

→広範な内容に触れているので、リファレンスとして使える。しかし専門的知識が身につくわけはではない。

とくに作曲をやっている人には新たな世界への道筋が見つかる可能性高い。初心者にもおもしろいので一読をおすすめ。上達してから読み返そう。

2. 教養のための読書として

→使える。アート系に関心あるならぜひ。しかし相当専門的な用語ばかり出てくるところがあるので、そこは興味がなければ苦痛だろうから読み飛ばしてよい。

3. 菊地成孔さんを楽しむ

ファングッズとして。

本の特徴 

この本は正式な理論書ではなく、菊地成孔さんという方の講演をコンテンツ化したようなものです。

ですので、音楽に関するひとつのトピックをまじめに学ぶために読む本ではありません。

あくまで菊地成孔さんという人物の講義であり、「バークリーメソッドによって20世紀商業音楽史を俯瞰する」という切り口で音楽の歴史をひもといていこうという試みです。

バッハによる平均律成立までの歴史的過程や音楽の物理的な構造の話からはじまり、作曲に関する基本的な知識から機能和声(ダイアトニックコード関係の話)やモードにいたる専門的な内容まで、ときおり菊地さんのおもしろい感想をからめながら講義しています。

「バークリーメソッドによって20世紀商業音楽史を俯瞰する」というコンセプトを軸として、いろいろなトピックに踏むこむことができるわけで、非常に複雑な内容になっています。

本の構成は、上巻では第1講から第6講まで、下巻では第7講から第12講までおさめられています。

それをメインに、講義の前にレジュメがあります。さらにおまけで講義に関する論文や「補講」としての「あとがき対談」もついてます。

というわけで、かなりボリュームのある本です。読書好きの音楽人で読書会を開くなら、この本で何年も遊べそうです。

おもしろいのが、レジュメと本講義の文体の温度差!

本講義の方はもちろん音声を書き起こしたものですので、自然な話し言葉なのですが、レジュメはあきらかに「作家・菊地成孔」のキャラクターがで書かれています。

レジュメとはふつう、講義の内容をおおまかにまとめたものでしょうが、このレジュメは彼の文章作品になっています。

講義2の前にあるレジュメ2では、平均律による調律システムに触れた後の文脈で、

―これは彼岸の果てとしての調律の死なのであろうか?

それとも青年期を終えた調律の解放なのだろうか?―

と問いかけて終わっています。

たぶんいきなり読まれる方には「・・・??」です。

菊地さんは作家としても活動しているので、ご自分の文体でレジュメを書いているわけです。

この少しメランコリックな文体のアート入っているレジュメを読んだあとに、自然体のきさくな菊地成孔にいさんの講義を読みます。

そのコントラストの激しさ!

そういう意味でもなかなか味わい深い本です。


ロジカル・コンポーズ(1) Introduction


ロジカル・コンポーズ(1)

わたしが一番好きな音楽の分野は、わりと古典的な作曲です。つまり、メロディ・リズム・ハーモニーをいかに組み立てるということ。

特殊な作曲方法やや電子音楽、変則的な手法も好きではあるので研究してますが、一番好きなのはそりよりも前の段階、

純粋に、どんなハーモニーで、どんなメロディで、どんなリズムを作るかというイメージを巡らすことです。

その方法についていろいろと勉強しました。

といっても独学でやるしかなかったので、勉強をするにも特殊なアプローチをするしかありませんでした。

そこでわたしがやったのが、言語学習のパラダイムを作曲に応用したことです。

作曲に必要な要素を、言語学習の三要素「文法」「論理」「修辞」のセグメントに分け、

理論書で勉強するだけではカオスになりがちな作曲法の道筋を、何とか整合的に、普遍的に、かつ簡単に、どんな場合でも応用できるような形に整えて、

自分なりの方法論をつくろうとしたのです。

実は、それをやってる時の自分は、わけあってやっかいなメンタル・ディスオーダーにかかっており、社会との交流も絶っていて、

要するにそういう思考活動をやっていなければ死んでしまいたい、などと思っていたのでありまして、

自分なりの作曲方法を考案することは、ばらばらになった心の中を統一させていくような、まさにカオスの中からひとつ意味を持ったイメージの集合体をつくりあげる作業なのでした。

そうしてすくいあげたイメージは、言葉にすれば「生きる」という意味を持っていると言うことができるでしょう。それこそが、

今の自分の心を正常に保っている装置であり、社会とのつながりを保つ唯一大切な「Bondage(束縛)」なのです。

それを破壊するまたは停止させれば、心はまたカオスにもどってしまうでしょう。

カオスは外側の情報たちのことなのではなく、自分の心の中にあるものなのでした。

そもそも大抵の人は言語でもって世界を認識しているのであって、言語があるから心を正常に保ち、正常なコミュニケーションが可能になるということです。

わたしは、人間にとってごく自然なやり方で、作曲という新しい言語空間のシステムを自分の中にインストールし、新しい世界とのつながりを得ることができた。それだから、今も生きていられる。

だから、誰にも共通の言語学習のパラダイムを作曲の方法に応用すれば、誰でも曲を作ることができるようになると、わたしは信じています。

わたしたちは毎日のように言葉を紡いでいますが、それが金になるかとか特別意味があることだとかは、特殊な職業にいる人をのぞき、そんなにいつも考えているわけではないと思います。

同じように、金や才能うんぬんは関係なしに、毎日当たり前のように曲を作り出すような習慣や文化が、もっと人々の間にあってもいいのではないかと思うのです。

新しい自分の世界をつくるということ、言葉でも、絵でも、音楽でも、写真でも、それはすばらしい体験です。

それは、自分が世界の一員であると感じることのできる体験です。

最初は自分だけしか知らないアイデア。しかし徐々に人に伝わっていく。小さな範囲でも、少しずつ。

それをいかに共有できるか、どこまで、誰と共有するのか・・・

それがつまりライフということなのではないかと思います。

音の言葉は、基本的に「ドレミファソラシ」の7音だけです。その変化形と組み合わせで、曲はできます。

アルファベットは26文字。

「あかさたな」は50音です。

それに比べたら、作曲とはそれほど難しいものではないと、思えるのではないでしょうか。

まずは「ドレミファソラシ」それがわかればいいのです。

はじめてみませんか。


おとやガイドの方向性


 

【「おとやガイド」は教育的な立場から発信している】

 

わたしは音楽活動(主に作曲)をしていて、人々にも作曲を教えようとしていますが、

 

日本の多くのレッスンやスクールで言っているように、

 

「音楽で食おう!」

「メジャーデビューを目指して」

「夢を実現」

「あこがれのミュージシャンと同じステージへ」

 

などというメッセージは一切出していません。

 

なぜなら、このようなスクールとは目指すものが異なるからです。

 

ですので、上記のようなことを実現するための詳細な情報は、わたしからは得られないと思ってくれた方がいいです。

 

わたしの提供する知識は、むしろ上記の方向性とは逆に進む上で役に立つことが多いです。

 

すなわち

・メジャーデビューは目指さない

・音楽だけで食おうとしない

・あこがれのミュージシャンと同じステージに立たない

 

ということです。

 

なぜなら、「おとやガイド」の目的は、音楽をやる人たちをそういう限定的な目的にフォーカスさせることではないからです。

 

音楽をやること、とくに作曲という知的営みは、思考力や感性を楽しみながら高めることになる、総合的な能力開発のツールとして発達する可能性があると思っています。

 

だから、人々に音楽をやる喜び、作曲をする楽しみを知ってもらって、自分の新たな可能性を広げてもらいたい。

 

そして、多様な知識や感性を身につけて、ユニークな人になってもらいたい。

 

そういう、教育的な思考でやっているのが「おとやガイド」です。

 

たとえば、作曲とは言語学習です。

 

曲をつくる際は、言語表現と同じように、文法・論理・修辞法という、言語運用に重要な三要素を踏まえた上で、

 

人に伝わりやすい、楽しませやすい表現をすることが重要です。

 

特に、作曲における「論理」は重要で、一定のルールに基づいて楽想を進めることが求められます。

 

音楽でいう論理とは、例えばAメロの後にBメロがきてサビに向かうとか、ハ長調なら曲尾はハ長調のトニックの和音で終わるとかいうことが言えます。「メロディを人に伝えるための一定の規則」です。

 

しかし、音楽は「感性」でやるものだから、論理とかルールなんてものはまったく構わないものである、という誤解は非常に強く、

 

理論や形式論といったことはいつも毛嫌いされてしまっています。

 

しかし、音楽は言語であり、数学なのです。

 

もとより感性が意識されなくとも発揮されるものであるからこそ、論理やフォームを使って整えることで、カオス状態からメロディを救うことができ、結果、多くの人の心に響くすばらしい楽曲が生まれるのです。

 

「論理エンジン」で有名な出口汪先生は、「論理のない言語表現は赤ん坊の鳴き声と同じ」とおっしゃっていますが、

 

論理のない音楽などまさに赤ん坊の叫びと同じ、それはノイズでしかないのです。

 

「人間同士は生きてきた文脈も経験もまったく異なるのだから、論理という最低限のルールを守らなければ、コミュニケーションは成り立たない。論理という大切なものが見過ごされてきたせいで、いま日本は危機に瀕している」ということ趣旨のことが、出口先生の著書『日本語の練習問題』などでよく書かれています。

 

「いや、アートだから」「考えるより感じるのが大事だから」「感覚の問題」という方もいるでしょう。

それも、一人で楽しんでいる分にはいいのです。どんどんやってください。

 

しかしそれを人に押し付けて「熱い思いは伝わったはず」とか言ったり、「買って」とかやったら、相手にとってはたまったもんじゃないでしょう。誰が買うか!です。

 

そういう人がきちんとルールを守って、きちんとした「おとや」になるために、ガイドが必要なのです。

 

コアなファンがいるなら別として、誰もあなたに興味がない段階では、伝えるためのルールを使わない限り、誰もあなたの曲を欲しいとは思いません。

 

そういうバンドマンの必死な「CD買って」アピールほどうっとうしいものはないということを、わたしたちおよび当事者たちは自覚しなければなりません。

 

意味のわからない変なものを好きな方もたまにいますが、どんな変人も、社会の一部である以上、最低限論理を介さなくては、言葉が通じません。論理は絶対に必要です。

 

日本人に欠けている論理的思考を、音楽という感性に直接的な体験を通して溶け込ませることで、鍛えることができるのではないかと思っています。

 

別に音楽を使わなくても学習できることですが、音楽を使ってもできるのです。しかも体感を通して、楽しく。

 

どうせなら、楽しくやりましょう。

 

その上で、本格的にバンド活動をはじめたり、音楽活動で社会に影響を与えたいという人のために、

 

マネジメント的な情報も公開しています。

 

それによって、人とのコミュニケーションも豊かにできると思っています。

 

まとめ

「おとやガイド」の定義

 

・おとやガイドは、自身の能力開発・知的成長のために、音楽を楽しむ情報・作曲方法を提供する

・自分の音楽を追求する上で他者(社会)との関係性が拡大する場合、自立するためのマネジメント方法を提供する

 

です。

 

これを理念として情報を取材し、編集して提供しています。

 

実はわたしがよく参照している海外サイトも、教育的な目的で運営されていることがほとんどです。「メジャーデビューしよう」「音楽で食おう」なんてコピーを全面に出しているところはあまり見かけません。

 

それだけ、音楽が解放されているということです。

 

日本では音楽は「一部の人の特権」「才能がある人のもの」という意識が強い。それは間違いです。

音楽をやることで、確実に人間的に成長できる。単なる娯楽を越えて、自己成長に利用できるのが音楽です。

 

もっと一般教養的に、人々が作曲をできるくらいの論理力と感性があると、社会はもっと楽しくなるのではないでしょうか。

 

ちいさなおんがくニュースレター【おとやガイド】
ゲームの音楽・コード理論・おとやのしごと情報
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