ロジカル・コンポーズ(1)
わたしが一番好きな音楽の分野は、わりと古典的な作曲です。つまり、メロディ・リズム・ハーモニーをいかに組み立てるということ。
特殊な作曲方法やや電子音楽、変則的な手法も好きではあるので研究してますが、一番好きなのはそりよりも前の段階、
純粋に、どんなハーモニーで、どんなメロディで、どんなリズムを作るかというイメージを巡らすことです。
その方法についていろいろと勉強しました。
といっても独学でやるしかなかったので、勉強をするにも特殊なアプローチをするしかありませんでした。
そこでわたしがやったのが、言語学習のパラダイムを作曲に応用したことです。
作曲に必要な要素を、言語学習の三要素「文法」「論理」「修辞」のセグメントに分け、
理論書で勉強するだけではカオスになりがちな作曲法の道筋を、何とか整合的に、普遍的に、かつ簡単に、どんな場合でも応用できるような形に整えて、
自分なりの方法論をつくろうとしたのです。
実は、それをやってる時の自分は、わけあってやっかいなメンタル・ディスオーダーにかかっており、社会との交流も絶っていて、
要するにそういう思考活動をやっていなければ死んでしまいたい、などと思っていたのでありまして、
自分なりの作曲方法を考案することは、ばらばらになった心の中を統一させていくような、まさにカオスの中からひとつ意味を持ったイメージの集合体をつくりあげる作業なのでした。
そうしてすくいあげたイメージは、言葉にすれば「生きる」という意味を持っていると言うことができるでしょう。それこそが、
今の自分の心を正常に保っている装置であり、社会とのつながりを保つ唯一大切な「Bondage(束縛)」なのです。
それを破壊するまたは停止させれば、心はまたカオスにもどってしまうでしょう。
カオスは外側の情報たちのことなのではなく、自分の心の中にあるものなのでした。
そもそも大抵の人は言語でもって世界を認識しているのであって、言語があるから心を正常に保ち、正常なコミュニケーションが可能になるということです。
わたしは、人間にとってごく自然なやり方で、作曲という新しい言語空間のシステムを自分の中にインストールし、新しい世界とのつながりを得ることができた。それだから、今も生きていられる。
だから、誰にも共通の言語学習のパラダイムを作曲の方法に応用すれば、誰でも曲を作ることができるようになると、わたしは信じています。
わたしたちは毎日のように言葉を紡いでいますが、それが金になるかとか特別意味があることだとかは、特殊な職業にいる人をのぞき、そんなにいつも考えているわけではないと思います。
同じように、金や才能うんぬんは関係なしに、毎日当たり前のように曲を作り出すような習慣や文化が、もっと人々の間にあってもいいのではないかと思うのです。
新しい自分の世界をつくるということ、言葉でも、絵でも、音楽でも、写真でも、それはすばらしい体験です。
それは、自分が世界の一員であると感じることのできる体験です。
最初は自分だけしか知らないアイデア。しかし徐々に人に伝わっていく。小さな範囲でも、少しずつ。
それをいかに共有できるか、どこまで、誰と共有するのか・・・
それがつまりライフということなのではないかと思います。
音の言葉は、基本的に「ドレミファソラシ」の7音だけです。その変化形と組み合わせで、曲はできます。
アルファベットは26文字。
「あかさたな」は50音です。
それに比べたら、作曲とはそれほど難しいものではないと、思えるのではないでしょうか。
まずは「ドレミファソラシ」それがわかればいいのです。
はじめてみませんか。