現代ミュージシャンが絶対に知っておくべきこと


2013年11月、TOKYO BOOTUP Conference Day というイベントに行ってきました。

音楽活動の在り方を議論する、様々なコンセプトの合同セミナーでした。会場が3つあって、1時間単位でいろいろな内容をやっているから、好きなところを選んでみる、出入りは自由、というおまつりみたいなやり方でしたが、内容は濃かったです。

わたしがみたトピックは、
1. JASRAC独禁法違反訴訟の東京高裁判決が意味するもの
2.インディーズアーティストの起業と融資について
3.コンテンツとしての音楽の未来、サービスモデル
4.ミュージックディスカバリーという概念について
5.じぶんの音楽を売る方法
6.アーティストのプロフィールの書き方(意味不明なの大すぎ)
7.地方で活躍する音楽家たち。Global+Local=Glocalの音楽の在り方
8.ミュージシャンの海外進出について
9.無名だけど音楽で生計をたてている人たちの話

すべて、今の時代音楽活動していくには絶対に知っておかねばならない、貴重な話でした。

ただ、講師の方も嘆いていましたが、「会場にミュージシャンやアーティストの方はいらっしゃいますか?」ときいたところ、

ほとんどいなかった。きていたのは、音楽ライターとか事業として音楽を扱っているビジネスマンとかがほとんどで、

いちばん話を聞いてほしいはずのミュージシャンがぜんぜんいなかった。

TOKYO BOOTUPというのは、インディーズアーティストに向けた情報開示をしている団体なのに、肝心のミュージシャンがこないというのは、残念だな、と・・・
このあたり、イベント主催側とミュージシャン側では大きな意識の差があるのを感じましたね。

「あー、やっぱりそうなんですね・・・残念ですけど、ミュージシャンってこういう場にこないんですよ。ぼくもFacebookとかで告知していて、
彼らに場所も日時も目に入るようにしていて、大事な情報があるよってことは提示しているんですけど、それでもこないんですよ・・・めんどくさいんでしょうね。」

と講師の方がぼやいていました。

いくら良心的に情報を公開しようとする人がいても、肝心の知る側が閉じこもっていたら、どうしようもないですね。

これは、音楽関係だけではないと思いますが、このカテゴリでは特に顕著ですね。

「ビジネス系のことだろ?関係ねーし」とかいうばりばりアーティストみたいな人たちの声が想像できますが・・・

それでいいんでしょうか。知らないままで搾取されているままで、いいんでしょうか。もっとできること、いろいろあるのに・・・

一般的にいっても、「TPPは危険だ!多国籍企業による国家のっとりだ!」「自民党の憲法改正草案は民主主義を徹底的に破壊する、天皇を人質にとった官僚のクーデターだ!」

と危険性を叫ぶ人がいても「は?大げさだろ。関係ねーし」といって無視することが多い。これと同じ関係が、こんなところでも起きているのだな、

と実感しました。

ちゃんと考えているミュージシャンの人は、数人しかきていないよ・・・という感じでしたね。

知ろうとしない人たちは、結局とりかえしのつかない状況になってから、「ふざけんなコノヤロ」といって無責任におこりだす。

知ろうとしないのもいけないです。その姿勢はかなり問題です。

だます側は容赦しないのですから、こちらも情報という武器をもって戦わないと、人権なんてあったもんじゃないですからね。

彼らは容赦なく、若者、個人、文化人、新しいことをはじめようとする人たちを殺しにかかります。それを感じずにのほほんと過ごしていては、やばいです。ほんとに、このままじゃ悲惨なことになります。

と、前置きが長くなってしまいました。

ひとつずつ出していきます。


このサイトにかなうフリーギターレッスンは日本にあるか・・・Justin Sandercoe


 

オンラインギター講師の紹介。

タスマニア島出身のギタリストJustin Sandercoe先生。

前回のベース講師のScott Devineさんよりも膨大な量のレッスンを無料で公開している。とにかく量が半端じゃない。ひとつの学校ができるくらいに思えるほど。

これぜんぶひとりでやってるの?すごすぎる。

動画も多いがテキストベースのコンテンツも充実している。

サイトは基本無料で、Honor Systemという仕組みで運営されている。

「よいと思ったらdonationするか、教材を買ってね」つまり、Justinさんはファンと読者に自主的な寄付をゆだねている。

Honor とは「信用」つまりJustinさんと読者の双方向の信頼関係で成り立っている。

Justinさんは無料で最高のレッスンを提供する。だから、読者のみなさん、よいと思ったら、書籍やmp3音源を購入してちょ、

このサイトの無料経営の存続は、

みんなの寄付と作品購入にかかっているんだぜ!とあまりにも正当すぎるメッセージがあって、頭が下がる。

ギターの基本的な知識、練習なら、これだけでほとんどまかなえるだろう。下手に「一週間で弾ける!」とかいう本を買い集めるよりは、このサイトでずっと集中してやるほうがいい。

数年どころじゃおわらない量のレッスンがある。超ビギナーから作曲まで充実している。

ただ、英語が多くてだるいという声があるかもしれない。日本人はなんと多くのすばらしい機会を損失しているものか・・・

しかしこんな優良なサービス、日本のサイトで太刀打ちできるものはなかなかない。

動画もあるし、図などのヴィジュアルも多いから大丈夫。

個人的にはたまたま英語ができてほんとうによかったなと思う。日本のポップ文化で特に音楽なんかはほとんど海外からの輸入&コピーなんだから、オリジナルの第一次情報にアクセスできるのがやはり一番いい。

日本のサイトでもすばらしいのはたくさんあるけど、逆に選択肢が多すぎてどこを使えばいいかわからないということがある。そんなときは、迷わず海外サイトを参照すれば、「ここしかないだろ!」というヤツがみつかってしまう。Youtube動画もしかり。発見した時点で浮気確定のひとめぼれ情報がある。

英語だからといって敬遠されるのはもったいなさすぎるので、「この記事や動画を翻訳してほしい!」という人は言ってください。

英語がわかる人でも、初心者などは慣れない音楽用語が多くて意味不明なところがあると思うので、そういうところも含めて解説できたらいいと思います。



UJAM-手のひらにおんがくを-


作曲という一般教養

作曲は誰でもできる。

解放されている優秀なツールを使えば、手軽にできる。

これなどはかなりおもしろい。はじめてやる人は、きっとわくわくする。

UJAM

左側のStart your song now!をおせばはじめられる。ログインが必要だが、GoogleかFaecebookのアカウントがあればそれで入れる。

作曲方法は2種類。

ひとつは、自分で鼻歌を録音すると、メロディーのデータがMIDIとして打ち込まれ、それにあわせて適切なバックトラックを自動的に生成してくれるというもの。

すごい。で、あとは好みにあわせて楽曲のスタイルやジャンルをエディットする。

もうひとつは、あらかじめ内蔵されているテンプレートからジャンルや雰囲気を選んでトラックを作成し、プリセットとして打ち込まれているメロディーや楽器、コードをエディットするやり方。

どちらもおもしろい。


作曲をやろうとしてつまづくのは、いろいろやることがあって難しそうだということ。

音楽が好き!つくってみたい!でも、
ドレミファソラシドはわかるけど、楽譜は読めないし、コード?なにそれ?

という人は、いきなりは覚えることが多すぎて、構えてしまう。

さらに、いっぱんに使用するソフトやツールは高額で、操作が難しそうにみえる。

作曲はとにかく楽しいのだが、楽しみを感じるまえに、めんどうな宿題をいろいろ出されると、またこんどにしよう、となる。

まずは、ややこしいことは考えずに、このツールの前でいろいろうたってみよう。

サンプリングされた音を鳴らしてみよう。きがつけば1曲できているぞ。

だいたい、音楽のツールは海外製のものが多い。楽器も作曲のソフトウェアもそう。有名なヤツは日本語化されているが、便利なソフトでもまだ英語のままのヤツもけっこうあるだろう。

わたしはたまたま英語が得意なので、おもしろいサイトやツールがあるとこうして紹介したくなる。

じつは、作曲をやっていると、さまざまな分野を横断的に学べる。

音楽を学ぶことは、総合的な学習になるのだ。

作曲理論は数学的な思考を鍛える。抽象的な考え方や論理思考を身につけるのに適している。

だが同時に、感じたままに楽想を表現するということは、感受性を磨くということであり、そこに情動をのせて人を動かすためには、国語力を磨くことになる。

小説を読んだり、映画を見たり、音楽を聴いたり、旅行したり他人の人生に触れたりする過程で情緒を育み、それを詩やメロディーに乗せて表現するわけだ。

情動だけで音を動かすばかりではただの雑音・ノイズになってしまうし、理論だけで機械的に組み立てれば心に響かぬ合成音にしか成りえない。

作曲の際には、感情と論理の折り合いをうまくつけながら表現物としての完成度を高めていかなければならないのだ。

つまり、作曲をすることは、感情と論理を使い分け、コントロールする能力を身につける訓練となるのだ。

感受性を高めるためには、色々な人生経験が必要となる。だから、たくさん本を読んだり、人と会ったり、様々な作品を鑑賞したりすることになる。

感動を受けるたびに頭の中でメロディーが生まれ、和音が生まれる。

いつまでもぐるぐると再生されて、頭から離れなくなったら、作曲理論を使って解放してやる。頭の中で鳴っている曲を、論理に当てはめて処理していき、まるで1つの建築物を建てるように、曲を組み立てていく。

頭の中で全体的なイメージを作ってから、ループしている部分と部分をつなげ、適切なセクションに配置し、構造的な整合性を築き上げていく、やがて1つの曲になる。

こういった処理は、数学的な論理思考をもって行うことで、より自然な仕上がりになる。だから、数学が得意になれば作曲も得意になる。

というか、音楽自体が理系学習の一分野だ。

ピタゴラスは数学者として音の振動比を研究してピタゴラス音律を作った。

コード理論は音の位置関係と度数の数的処理で理解するし、シンセサイザーで音を作るなら倍音・波形に関する物理学的な知識がある方がいい。

音源データを打ち込むにはコンピュータを使いこなすわけだし、プログラミング的な技術感覚も必要となる。高度な理系知識と情報処理能力があるほど、作曲に有利なのは間違いない。

しかし、技術だけで量産できるような産業音楽しか作れないのであれば、それは単なる機械労働の産物であって、マニュアルどおりに作られたプラモデルでしかない。

人を動かす曲には情熱が込められているわけで、それを伝えるためには、多用な人生経験によって培われた感性と、文学・哲学の世界観が必要なわけだ。作曲家の人生を調べていけば自然に歴史を学ぶことにもなろう。

さらに演奏となると、これは身体の表現であるから、知識とは別に実技的な身体トレーニングの修練がものをいう。ライブなんてある意味スポーツだ。

だから、音楽活動を生活に取り入れることで、理系学問と文系学問の統合(科学と哲学の統合)、

さらに身体感覚まで含む総合的な学習トレーニングとなって、将来的に膨大な知的財産を形成することになり、豊かな人生を得ることになろう。結局あらゆる学習はつながっているのだ。

音楽・作曲というのは、全ての学びの経験が一段高いところでつながるという現象を、感覚的に体験できる身近な活動の1つだ。

これからの時代は、音楽学校でなくとも授業で作曲を教えたらいいと思う。

バンド活動が人気であるように、音楽というのは(学問と意識せずに)楽しんで取り組めるものだから、どうせやるなら拡げられるところまで拡げていって、あらゆる教養を身につけてしまえばいい。
音楽なら、自分を表現することで他者とコミュニケーションするということが、積極的に自分の意志で行える可能性が高い。これを続けていけば、高い自己評価を得ることにつながり、生産性が上がる。作曲は総合学習のおける最高のツールだ。