音楽は無価値になった


引き続き、2013年11月16日に開催されたTOKYO BOOT UP Conference Dayで得た情報を公開しています。

今日は、コンテンツとしての音楽の未来について話します。

結論からいいますと、音楽のデータ化の発達とストリーミング配信・ダウンロードサービスがインフラ化した現代において、

音楽の経済的価値というのは、事実上かぎりなく0になりました。

その上で、音楽をコンテンツとして扱い、収益を発生させるために、業界は新たなるサービスモデルを構築しなければならない、そういう局面に立たされています。

音楽に事実上経済的な価値がなくなってしまったというのは、解説するとこういうことです。

販売されている音源というのは、どんな形式であっても、所詮はマスター音源の「コピー」です。データのコピーでしかない。

オリジナルの制作にかかるコストは最初だけ。コピーにかかるコストなんてないのです。限界効用が働かない。

物質的にみれば、データのコピーに価値はないのです。また、流通に関しても、物理的な移動を伴わない、ただアップロードするだけなので、コストはありません。

もちろん、ジャケットやCDなどの物理的なパッケージを伴う場合は、限界費用は上がりますが、それも今はダウンロード販売が主流になったので、事実上なくなりつつあります。

データ配信が主流になり、コピーだけで商品が生み出せて、再生産のコストが限りなく減ることで、流通にかかるコストもなくなった。

すると、事実上、物質的な意味では音楽制作物に価値はないと言えるのです。

ただ、あくまで物質的な意味ではですので、情報的な価値はあります。

誰々がつくったこういう物語の曲だから・・・というストーリーに価値を感じるわけです。

だから、音楽をコンテンツとして扱うには、音楽そのものに付加価値をもたせようとするのが厳しくなっています。

どこを売りにしたらいいのか。どこにキャッシュポイントをつくるのか。格業者はそこのアイデアを考えるために頭をしぼっています。

わかりやすい例が、AKBにみられる握手権商法です。

あれは、音楽に価値があるのではなく、あきらかにアーティスト本人へのアクセス権が手に入るという、

「唯一無二の物理的価値」に価値があるわけです。音楽はコピーできても、人間はコピーできませんからね。

つまり、「音源に価値をもたせるのはきついから、歌っている本人に価値をもたせなきゃね」といって、

CDに何か、マテリアルベースの付加価値をつけることになった。それで、握手権とかブックレットとかのおまけが充実するようになったわけです。

日本でCDがまだ売れる理由はここにあります。日本はCD販売のサービスが段違いに良いのです。

日本では当たり前ですが、海外のCDなんて、ジャケットの質とか、歌詞カードがないとか、アーティストの詳細がないとか、不備がいろいろあって、

買う意味がほとんど感じられないそうです。だから、海外でCDを買う人はほとんどいないそうです。

音楽そのものでなく、何かアーティスト本人に関連したわかりやすい物理的な価値を付加してやる、というのが第一の戦法です。

制作にあたる側としては、とくにエンジニア系の人は、このやり方に猛烈な憤りを感じているようですね。

じぶんらが命を削って仕上げた作品が、ゴミ同然のように扱われる。まるでビックリマンチョコのように、シール(握手権)めあてで何枚も買われて、

チョコ(CD)本体は捨てられる。つくった側としては、許せない!となるのは当然です。

で、ほかには、サービスモデルをチェンジすることで、収益ポイントをずらすということがあります。

音源では回収できないので、いろいろサービスを考えて、構造的にキャッシュを発生させるというわけです。

そこで注目されているのが、Spotifyにみられるフリーミアムモデル、サブスクリプションモデル、チャンネル登録制モデルなどの形態です。

音源自体は無料で、より上位のサービスやハイレゾ音源の配信などは課金、というシステムです。

日本ではまだCDが売れており、Spotifyも参入できていませんけど、世界の音楽市場はすでにこのモデルが主流になっています。

Spotifyが参入していない国は日本ぐらいなものです。しかし、さすがにもう限界でしょう。

日本はこれでも世界一の音楽市場なんです。

必ずSpotify、またはそれに類似したサービスがインフラ化されます。

音源にはもはやまったく価値のない世界がやってくるのです。いや、もはやそうなっている。

この現実と向き合い、どのように音楽をコンテンツとして扱っていくか。音楽に携わる人は等しくこの課題に取り組まないといけませんね。

レコード会社や音楽出版社のように、業界の未来が見えなくなっちゃって、ひたすら制作者や作家を搾取し続けることしか考えなくなるような、

そんな風には決してなりたくはないですからね。

今日は以上です。


ミュージシャンの起業と融資


引き続き、2013年11月16日に開催されたTOKYO BOOTUP Conference Dayの内容公開です。

今日は

インディーズミュージシャンの起業と融資

です。講師は若い税理士の方でした。

インディーズミュージシャンと、「起業」「融資」という言葉は、なかなか結びつきにくいですよね。

でも、ミュージシャンだってアーティストだって、事業モデルをプレゼンすれば、融資をしてくれる可能性はあります。

わたしが予想していたセミナーの内容は、

「ミュージシャンとしての経験やスキルを活かして、何かエンターテイメント系の事業を起こしませんか」

ということでした。つまり、ミュージシャン本人が、たとえばイベント業者やフェスのオーガナイザー、プロデューサー、

エンジニア、音楽SNS管理者、音楽アプリ制作者、音楽講師などとして個人事業でもスモールビジネスでもはじめて、それぞれの個性を活かしたサービスを展開するようになれば、

業界が活性化していくのではないか、というようなことでした。実際、そのような動きがいたるところで起きてますしね。

しかし、実際の内容は、

「バンドをビジネスとして成り立たせよう」

という、超ダイレクトなものでした。

つまり、ふつうにバンド活動やライブ活動をして、音源販売やライブ・グッズの収益で音楽活動をまわしつづけること自体を、中小企業活動として法人化してビジネスにするというアイデアです。

ふつう、ある程度影響力がついてきたら、スカウトでもオーディションでも通して事務所に所属し、運営やプロモーションを任せるのが今ままでのやり方でした。

それが、このやり方では音楽事務所やレーベルではなく、融資団体に自分を売り込むということです。

起業プレゼン・事業提案・創業計画書=オーディションなのです。

音楽活動だって収益が発生すれば事業とみなされますから、見込みのある事業だと判断されれば融資してくれるわけです。

なんという裏技!

でも、そんなのできるの?と思いますよね。次のような疑問が浮かびます。

・本当にミュージシャンの音楽活動そのものに融資してくれる団体があるのか
・もし返せなかったらどうなるのか

などです。

これに関しても、システム自体は整っていて、できない理由がないんです。

まず、紹介されていた融資団体は「日本政策金融公庫(JFC)」・・・なんと国の団体です。

国による公的な支援ですから、若い人や実績のない人でも応援してくれる、ふつうの起業家にとってもありがたい制度です。

国の事業ローンが、反体制を歌うロックミュージシャンに融資なんてするのか?と思いきや・・・

なんと、「JFCもビジネスだから、お金を貸したいのが本音。とくにアーティスト系の活動への融資は事例がないし、起業相談自体がない。

新しい取引相手としてアーティスト系の活動が注目されている」

というのです。

丁寧なことに、創業計画書を書く際のポイントまで教えてくれました。

・CDを手売りしたなど、地道な音楽活動をしていたことをアピールしてはいけない

これは、がんばって売り上げを出していることをアピールしてはいけないのは変だと思いますが、これはダメなんです。なぜなら、手売りのようなルーズな収益活動は、

「申告していない」と判断される可能性があるから、マイナスポイントになるのです。

・創業資金は「親や友人に借りました。毎月ー万ずつ返します。」もダメ

親や身内などから資金を借りて、毎月返していく計画です・・・まじめそうで、安全そうで、いいんじゃないの?と思われそうですが、これもダメです。

なぜなら、「自己資金じゃないじゃん」とみなされるからです。自己資金じゃないとダメらしいですね。

じゃあ、どのように書けばいいのかというと、「出世払いで返す」でいいんだそうです。驚きですね。

◇もし、返せなかったら・・・

さて、もしバンドがうまくいかずに返せなかったらどうなるのか。

取り立て?

訴訟?

どんなこわいことがおこるのか・・・

気になりますよね。その恐怖がネックとなり、起業ができません。

税理士の方はいいます。

「ちゃんと申告すれば大丈夫です。」

つまり「返せません」と言えばいいらしいです(!)

なんと、返済がきつかったらその都度きちんと申告をすれば、「仕方ないね」ですむそうです。

しかし、返さなくていいわけではありません。返済を「延期」する措置をとり、これが最長で7年まで可能だそうです。

国の団体だから、そんなに強引な取り立てはできない、というわけですね。

そして、彼らが欲しいのはカネではなくて、自分と周囲を納得させるだけの「理屈」だそうです。

つまり、焦げ付いたらならそれなりの「理由」を提示しないと、自分たちの責任が問われるので、いやだと。

だから、逃げ場となる正当な「理由」がほしい。それを明確に提示してやれば、「わかりました」といってスムーズに通るといいます。

あきらかに、「こりゃ無理だ。返せない」となるようなまっとうな理由をこちらから提示すればいいのです。

それも、自然災害とか病気とかの強烈な外部要因が必要なわけではなく、

「一生懸命やったけど、だめでした」みたいな感じで、「しょうがないね」と思われるような理由であればいいそうです。

すごい国ですね、日本は。

そんな可能性もあるわけです。

ただ、いままでにアーティスト系の方々が実際にJFCの融資を受けた事例がない。だから、お互いよくわからないところが多く、不安であると。

だから、税理士の方も、一緒に成長していきたいと思っている、応援したい、と言っていました。

ただ、肝心のミュージシャンは、会場にあまりいませんでした・・・

今日は以上です。

音楽活動の新たな側面が見えたと思います。やろうと思えば受けられるんですよ、融資。

ただ、本質的に、アート活動をビジネスモデルとしてシステム化するのは、どこかでひずみがでるだろうなと、ぼくは思っちゃいますね。

それこそ完全に商業的モデルに特化しないと、成立しないでしょう。

融資する人は「パトロン」ではなく、あくまでリターンのあるビジネスとしてやるわけですからね。

実際にJFCから融資を受ける人はいるのでしょうか。

「おれやる!」という方は、ぜひ教えてくださいね。

おわり。

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ミュージシャンによる著作権管理事業団体ができればすごいビジネスになる


前回、JASRACの独禁法違反訴訟に対する東京高裁判決の実態についてお話しました。

今回は、

・JASRAC利用するにあたり、ミュージシャンが気をつけること
・ミュージシャンによる著作権管理事業団体ができれば、すごいビジネスになる

についてかんたんに話します。

◇JASRACはどう使うのか

JASRACはなにもミュージシャンの敵ではないということです。ツールとしてうまく使えばいいとのこと。

ここで重要なのが「支分権(Divisible Rights)」という概念です。

その名の通り、権利を分割したものです。例えば、ラジオで放送する権利、テレビで放送する権利、カラオケボックスで放送する権利、イベントで使用する権利、

歌詞を翻訳する権利など、制作物に関するあらゆる権利は、細かく分割して、一つ一つ管理するのです。

じつは、「著作権」というのは一つの絶対的な権利ではなく、この「支分権」の集合体と言えるのです。これらすべてをまとめて、

著作権です。

だから、とりあえず曲をつくったら、著作権はJASRACに預けることになっているんだったな・・・と安易な気持ちでJASRACに

「曲つくったんで、著作権あずけます」とくそまじめにあげちゃうと「え、ぜんぶくれちゃうの?ラッキー!」となっちゃいます。

こういう取引はとうぜん「知っていることが前提」で行われるので、あとで「支分権わけろ!」と言うのは不利というものです。

いつだって情報を多く持つものの方が立場が上です。

だから、あるていど商用利用されるような曲ができたら、

第一JASRAC・・・放送局、カラオケボックスなど規模が大きく、自己管理できない支分権
第二JASRAC・・・小規模イベント、ラジオ、ローカル映画などの支分権
自己管理・・・ある特定の業者、企業・セミナーへの提供、個人事業でとりまとめられる範囲の契約に関しては、自分で管理・交渉・取引をする

というふうに、分ける必要があるのです。

決して、調べるのがめんどうだからといって、著作権すべてをJASRACに丸投げしてはいけません。理不尽なほど管理手数料をとられたり、

個人的な活動範囲にまで介入してきて、身動きがとれなくなります。

◇ミュージシャンが組合をつくって、音楽著作権管理事業を興せ!

あまりに巨大すぎて融通の利かないJASRAC、期待されはしたものの思うほど機能していないe-License・・・

トラブルの多い音楽著作権管理事業をもっとうまくまわすにはどうしたいいのかという点について、弁護士の小倉秀夫さんは言いました。

「ミュージシャンが自分たちでやればいいのに」

と。

つまり、ミュージシャンによる、ミュージシャンのための音楽著作権管理団体をつくったらどうか、という提案でした。

「そんなに文句あんなら自分たちでやれや」ということですね。

これって、盲点でしたね。

「著作権管理はJASRACがやるもの」という固定概念が浸透してしまっているので、この発想は出てきませんでした。

しかし、管理事業だってビジネスですから、ほかの団体が参入していいわけです。

現在は、事実上JASRACの独占が続いてしまっているから、独占状態を崩し、健全な市場環境をつくれるような、

新しい管理事業組合が求められているのです。そういう意味でe-Licenseは期待されていたのですが、いかんせんうまくいっていないようです。

だったら、もうミュージシャン自身がやればいいじゃないか!という話です。

管理事業を起こすにも、手順を踏めばかんたんにできるそうです。ある程度の人数で組合をつくって、サーバーやWEBシステムをつくり、

業者と交渉する仕組みをつくるだけ。会社をつくるのと同じです。

やり方は、ただJASRACを排除するのではなくて、いいところは利用する。

たとえば、支分権ごとにしぼって管理すればいいのです。

JASRACのようにすべての権利にわたって大規模に管理しようとすると、コストがかかる上に、

地方の違法カラオケとかまで手数料を請求しにいかなければならなくなる。彼らは仕事熱心なのでそこまでやりたくてしょうがないのですが、

肝心のミュージシャンはそこまで徹底的に管理されることを望んでいるのか?「そこまでしなくていいよ!」ですよね。

だから、放送局など大規模な部分の管理はJASRACにまかせ、ラジオやインターネット(ニコ動)なんかの隙間の権利はおれたちでやるよ!というようなモデルをつくるのです。

そうすれば、大規模にやらなくてもいいから、コストも安くてすむ。自分が大切だと思う部分の権利だけあずけて、適切に作品が使用され、正当な対価が得られるようになる。

そういう仕組みを、ミュージシャン自身でつくっていくことが求められているのです。

そうです。ついに、ミュージシャンが作品の管理に関しても、権利団体に依存する時代が終わろうとしているのです。

ネットが解放されて、活動が自由になってきた音楽人たち。つぎは、著作権の管理まで自分たちでやるようになる、そんな時代に突入しているのです。

感慨深ですよね。虐げられてきた人間たちの復権というか。

問題は、それを実際にやる人がいるかどうか。

システムをつくって、業者と交渉するなんてことは、

ミュージシャンがいちばん苦手な部分ですからね。

ただ、例外もいると思います。そういうのが好きなミュージシャンってのも、やっぱりいるんですよ。ビジネスとエンターテイメントを同時に楽しめる人。

それか、ミュージシャンではないけど、音楽が好きで、そういう事業を代わりにやってあげようと思う専門家の人がやるかもしれません。

そういう人たちが必ずでてきて、何か行動を起こすと思います。

以上です。かなり可能性のある話をしました。