Scott Devine-オンラインベース講師トップが語るもっとも大切な教え-


きょうメルマガで紹介したオンラインベース講師のScott Devineさん。


http://www.scottsbasslessons.com/online-video-bass-lessons

無料で公開しているレッスン内容がすばらしいだけでなく、活動の仕方が最先端で、現代のミュージシャンがみならうところがたくさんある。

インターネットを活用した個人活動で、影響力をつけている。ブログで大量のレッスン動画を無料公開し、メルマガや練習用バックトラックも無料。DVD教材やレッスンスクールがバックであるが、それもとてつもないサービス量で納得。Webを活用して個人の力を最大化できることを、すべてやっている。

現代の音楽活動のひとつの極みがある。非常に参考になる。

で、おもしろいのはこの動画。ここではいったんベースをおいて、ちょっと大事な話をしようや、ていう内容。「いちばん大切なこと」というタイトル。

内容をまとめると、

「わたしはもしかしたらすごく成功しているように見えるかもしれない。

しかし、なんのことはない。ちいさなことをしてきただけなんだ。

凄腕のベーシストだって、最初は何も知らなかったんだ。ジャコ・パストリアスも、フリーも、はじめは音の出し方さえ知らなかった。スタートはみんな同じなんだ。

やってきたのは、ただちいさなことをひとつずつ身につけてきたってことだ。

なによりも大事なこと、それは、ちいさなことをくりかえしやることだ。

それはつまり、きみにだってできるということだ。

難しいことをしなくていいんだからね。まいにち、ちいさなかんたんなことをするだけだから。

目標は大きく設定してほしい。でも、やることはできるだけちいさなことにするんだ。それをまいにちかさねていくんだ。長い時間の中で、少しずつつみあがったちいさなブロックが、やがって大きくて強固な建造物をつくりあげるんだ。

まいにち、どんなちいさなことでも、その日じぶんが達成したことをほめてやるんだ。まいにち、ちいさくても、きのうよりよくなっている。それをほめたたえるんだ。

それをやってれば、だれだって失敗なんかできない。ちいさなことでいいんだ。」

というようなことを言っている。

イチロー選手がいつも言っていることと同じだが、言う人が違うと、感じ方もちがってくる。ミュージシャンだって同じということだ。

できる人には才能があるというのは、何もやらないヤツの言訳にすぎない。ジャコパスもフリーも、みな最初は何もできなかった、何も知らなかった。

目標はでかくていい。でもやることはシンプルに、ちいさいことでいい。人間は弱いから、ちいさいことしかできない。

大きな結果、すごい技にみえるのは、たまたまその日はめたちいさなピースが、大きな絵を完成させる最後のパーツであったという瞬間に遭遇したにすぎない。本人からしたら、いつものようにちいさなことをしただけ。

真理なんてそんなもんだろう。

この人のレッスン動画は短いので、毎日でもできるはず。ベースプレイヤーにはおすすめ。

英語が苦手だったら、わかるように翻訳します。ご連絡ください。


映像制作×楽器演奏=アクセントカット


11月8日はアドビシステムズ主催のイベントCREATE NOW PLUS ONE DAYに行ってきた。

Adobe(アドビ)は、みんないつも使っているPDFファイルのメーカーですね。
アドビ製品の詳しい使い方を解説したり、アドビ製ソフトフェアを使ってデザインをしている人の話を聞いた。

印象的だったのは東京2020国際招致PRフィルムを制作したKOO-KI株式会社の上原桂さんのお話。

映像制作をするにあたっては、まず映像にのせる音楽を発注する。それが自分が入り込めると思う良い音楽かどうかで作品の出来がほぼ決まるという。

そして、映像をつくるときは、画像のカットによって音楽に参加しているような感覚でやっているという。自分にとって映像デザインは「楽器演奏」だということ。リズム隊として映像でアクセントをつける、ときには新たなメロディをのせる感覚だという。

具体的な例は、静止画を連結してムービーをつくる際、カットのタイミングを小節の一拍目にするか、裏拍にするかを変えることで、ノリを変化させる。

たしかに、映像を見るとわかる。裏拍のスネアに合わせて画像が切り替わっていることが多く、ここぞというところで一拍目にチェンジがきている。

デザイナーの頭の中で何が起っているのか垣間見ることができてかなりよかった。人間にはカオス情報を整合的に統合してまとまった意味をもった絵を描く能力がある。ものつくりを行う人は、頭の中でいろいろなものを結びつけて関係づけているわけだ。

映像と音、楽器演奏の感覚を結びつけ、一つのイメージを描く。映像でないものを音楽化し、音を映像化し、あらゆる感覚情報を双方向的に結合して、ユニークなアイデアに統合する。

これがつまり想像力、創造力だ。

すべてはつながっているし、すべては関係している。分離しているものは何1つない、音楽も映像も、デザインもビジネスも、経済も文化も、ほんらい分断されるものではなく、融和することができる。そして、それは人の頭の中で行われる。ものごとを統合する力、想像する力はみなにある。

そういうことを意識して映像をみると、新しい発見があるはず。

KOO-KI株式会社
http://www.koo-ki.co.jp/site/
http://www.youtube.com/watch?v=BnDyszZZ0k0


リスナー参加型音楽


ゲーム音楽の双方向性について

ふつう、音楽とリスナーの関係は一方通行だ。音源化された曲、ステージ上で演奏される音楽が、一方的に聴衆に与えられる。

データ化された楽曲はとうぜんのこと、ライブでの生演奏でさえ、曲そのものに関しては聴衆は一切コントロールすることはできない。作り手と受け手は、ステージの上と下でまっぷたつに分断されていて、そこには覆しようのない主従関係がある。

しかし、ゲームの音楽は例外。音楽とリスナーに双方向性がある。

どういうことかというと、ゲームの音楽には、プレイヤーの操作によって、ある程度変化するようにプログラミングされているものがあるのだ。

つまり、ゲームの音楽というのはそのままでは未完成で、ゲームの進行に合わせてプレイヤーとともに創り上げていくのであって、それが演出に一役買っている。

プレイヤーを音楽体験に参加させるという意味で、ライブと同じような臨場感が得られるだけでなく、曲そのものにも変化を与えられる。

これはただ一方的に流すことしかできない映画音楽との決定的な違いだ。ゲームの音楽は、このような作り手と受け手が相互に補いあう関係をつくりだし、両者の関係をフラットにしたのだ。

例えば、前回のMOTHER『エイトメロディーズ』のように、進行するにつれてメロディーが増えて、最後に完成するというやつもそう。

ちなみにMOTHERは『3』でも音楽を効果的にゲーム性に利用していて、バトル中のキャラクターの攻撃音がキャラごとにギターだったり、ベースだったり、ピアノだったり、打楽器だったり振り分けられていて、BGMに即興演奏のようにうまくのるように仕掛けられているのがおもしろい。

マリオなんかでは、ステージクリアに時間制限があると、タイムリミットが近づくにつれて、テンポが速くなったりする。ヨッシーにのると、メロディーにパーカッションが加わり、強くなった感が出る。
ゼルダの伝説-『時のオカリナ』『風のタクト』『ムジュラの仮面』などでは、オカリナや指揮棒やラッパや太鼓などの楽器アイテムを演奏することで仕掛けが作動する。

このような、プレイヤーの操作に連動して変化する音楽性は、ゲーム音楽でしか表現できない独自の特徴だとして、任天堂は「インタラクティブ性」と名付けた。
これらの例は有名なものだが、たいていのゲームでも、BGMと効果音は非常に相性がよく違和感ないようにつくられている。

単体で聴くと味気ないBGMでも、プレイヤーの操作によってコロコロ追加される効果音によって、いきいきとした音楽になるように工夫されている。

『武蔵伝』というゲームは、迷子になったお城の楽団員を集めることで(それがメインのゲームじゃないけど)、ゲーム中のBGMで演奏されるパートが増えていく。

最初はリズムとバッキングパートしかなかったBGMが、楽団員を救出するたびに、メロディがふえ、打楽器がふえ、ハモりがふえ、オブリガートがふえ、徐々ににぎやかなミニオーケストラ演奏になっていく。

曲がだんだん完成していって、盛り上がっていく感じもよかったけど、なによりじぶんが助けた人が、ちゃんと存在していて、音楽でありがとうと言ってくれているみたいで、助けたんだっていう実感が湧くのがすごく嬉しかった。曲自体もすごく素敵。作曲者は関戸剛さん。植松伸夫さんのFFバンドBRACK MAGESでギター弾いている人。