リスナー参加型音楽


ゲーム音楽の双方向性について

ふつう、音楽とリスナーの関係は一方通行だ。音源化された曲、ステージ上で演奏される音楽が、一方的に聴衆に与えられる。

データ化された楽曲はとうぜんのこと、ライブでの生演奏でさえ、曲そのものに関しては聴衆は一切コントロールすることはできない。作り手と受け手は、ステージの上と下でまっぷたつに分断されていて、そこには覆しようのない主従関係がある。

しかし、ゲームの音楽は例外。音楽とリスナーに双方向性がある。

どういうことかというと、ゲームの音楽には、プレイヤーの操作によって、ある程度変化するようにプログラミングされているものがあるのだ。

つまり、ゲームの音楽というのはそのままでは未完成で、ゲームの進行に合わせてプレイヤーとともに創り上げていくのであって、それが演出に一役買っている。

プレイヤーを音楽体験に参加させるという意味で、ライブと同じような臨場感が得られるだけでなく、曲そのものにも変化を与えられる。

これはただ一方的に流すことしかできない映画音楽との決定的な違いだ。ゲームの音楽は、このような作り手と受け手が相互に補いあう関係をつくりだし、両者の関係をフラットにしたのだ。

例えば、前回のMOTHER『エイトメロディーズ』のように、進行するにつれてメロディーが増えて、最後に完成するというやつもそう。

ちなみにMOTHERは『3』でも音楽を効果的にゲーム性に利用していて、バトル中のキャラクターの攻撃音がキャラごとにギターだったり、ベースだったり、ピアノだったり、打楽器だったり振り分けられていて、BGMに即興演奏のようにうまくのるように仕掛けられているのがおもしろい。

マリオなんかでは、ステージクリアに時間制限があると、タイムリミットが近づくにつれて、テンポが速くなったりする。ヨッシーにのると、メロディーにパーカッションが加わり、強くなった感が出る。
ゼルダの伝説-『時のオカリナ』『風のタクト』『ムジュラの仮面』などでは、オカリナや指揮棒やラッパや太鼓などの楽器アイテムを演奏することで仕掛けが作動する。

このような、プレイヤーの操作に連動して変化する音楽性は、ゲーム音楽でしか表現できない独自の特徴だとして、任天堂は「インタラクティブ性」と名付けた。
これらの例は有名なものだが、たいていのゲームでも、BGMと効果音は非常に相性がよく違和感ないようにつくられている。

単体で聴くと味気ないBGMでも、プレイヤーの操作によってコロコロ追加される効果音によって、いきいきとした音楽になるように工夫されている。

『武蔵伝』というゲームは、迷子になったお城の楽団員を集めることで(それがメインのゲームじゃないけど)、ゲーム中のBGMで演奏されるパートが増えていく。

最初はリズムとバッキングパートしかなかったBGMが、楽団員を救出するたびに、メロディがふえ、打楽器がふえ、ハモりがふえ、オブリガートがふえ、徐々ににぎやかなミニオーケストラ演奏になっていく。

曲がだんだん完成していって、盛り上がっていく感じもよかったけど、なによりじぶんが助けた人が、ちゃんと存在していて、音楽でありがとうと言ってくれているみたいで、助けたんだっていう実感が湧くのがすごく嬉しかった。曲自体もすごく素敵。作曲者は関戸剛さん。植松伸夫さんのFFバンドBRACK MAGESでギター弾いている人。