親友でありライバルであり


親友でありライバルであり音楽屋さんのしごとクリエイト【おとやサロン】というテーマ。

これは、作る側にとって、ということです。

聞き手にとっては、憧れの存在、頼りになる存在、勇気をくれる存在、儀式の道具や舞台装置、

好きな人の一部・・・のような、ちょっと離れた存在でありますが・・・

作る側の気持ちはどうでしょうか?作曲をしない方は、考えたことはおありですか?

作曲をする方、自分にとっては何か、考えをお持ちですか?

自分の制作物、作品、それは作った本人にとっては特別な意味を持ちます。

分身、生の結晶、命のかけら、子ども・・・大切な存在であるのは間違いないと思います。

どんなバンドも、自分たちにとって大切な、思い入れのある曲があります。

それをライヴの大事なところに配置したり、大切な人に提供したり、会社の名前にしたりします。

人でもないし、モノでもない。でも、いつも自分の心、誰かの心の中に存在している。

形はないのだけど、確かにそれはある。

また、あるときふとしたきっかけで、新しい曲が生まれて、それからまた新しい付き合いがはじまる。

こういう、曲という存在の不思議を、グラミー賞をとったある作曲家は

「曲というのは親友のようなものだ」

と言っています。

この言葉をきいたとき、なるほどなと思いました。

とても大事な存在。助けてもらったり、いろんなライヴ、いろんな場所で演奏し、アレンジをしたり、

修正したりして変化もする。自分の手を離れて、他の人のところで演奏されたりもする。別の場所で勝手に流されたりもする。

そんな曲たちというのは、あくまで「友だち」なんだと。

とても大事な存在。でも、あくまで他人である、そんな距離感。最初から一緒にいた家族でもない、

自分の子どもでもない。

友だちのように、時にはまったく仲良くなれない、好きになれない曲もある。縁を切りたくなるような曲もある。

新しい曲ができるときは、新しい友だちと出会うようなもの。これからどんな付き合いをともにするだろう、

こいつはどんなヤツなんだろう、というどきどき。

バンドメンバーと同じように、曲というのも友だちのように考えると、少しこだわりというか、考え方も変わると思います。

自由なアレンジを拒んだり、人に使わせたくなかったり、権利でがんじがらめにしたりして、過保護にすることがなくなると思います。

曲そのものにも、誰かのもとでアレンジされたり、演奏されたり、変化したり、値段をきめたりする自由や権利があるのだと考える。

逆に、一生誰の目にも触れず、孤独なまま生を終えるという自由もある。50年後にやっと世に出るという選択もある。

きっと一生一緒にいるわけじゃない。お互い変化するし、気持ちも変わる。別れることもある。

久しぶりに再開したら、たまにまた現在のアレンジでやったりする。

すごく大切なんだけど、あるところでは切れている、離れているんです。

作り手は自身の作品に対して、こういう独特な感覚を持っています。

他の人が作った曲が、憧れの先輩やスターだとするならば、

自分の作った曲は、それよりもちょっと距離の近い親友。

ただ少しだけ、距離が違うだけなんですね。

まるで人間関係のようです。まるで人生のようです。

誰と出会い、誰と闘い、誰と関わり、生きていくのか?

わたしたちは音楽を通してコミュニケーションをしています。

あなたにとっての曲とは、何ですか?