音楽はほんらいの姿をとりもどす-The Court of the Crimson King Unlocked!-


YOAKE MUSIC SCEAN 2014 レポート&スタディ 第3回

テーマは

これからの音楽は”United”だ!

です。

これは、第一ディスカッション「すぐ外側からみる音楽シーンの未来」というテーマ内で

これからの音楽はどうあるべきなのかという問に対して、

椎野秀聰さん、若林恵さん、竹中直純さんたちの間で導きだされた、

具体的な結論らしきものです。

じつは、この対談自体はけっこうルーズな感じで、さすがは音楽人たちというか、即興でいろんな話に飛んだりして、

あまりまとまりのあるものではなかったのです。だから、わたしが一応要約して、一応結論らしきものを抽出しました。

さて、「これからの音楽はUnitedだ」これはどういう意味でしょうか。

前回までにわかったことを確認しましょう。

・業界では、新しいジャンルや技術やメディアとひとりの天才が登場するたびに、停滞していたシーンが活性化し新たなムーブメントが起こる
・現代は、それが起きにくい。起きても大衆化されない。
・無理な大衆化を目指さず、自分自身の「ネイティヴ性」を追求していく姿勢が健全である
・クソなレコードをつくるな

ということです。

これを踏まえていると、音楽はUNITED da!の意味がつかみやすくなります。

この言葉は、椎野さんの友人のジャズベーシストの確信的な発言であり、これからの音楽活動のエッセンスはこの一言に帰結すると椎野さんは考えています。

United,つまり「統合」「つながる」ということですが、音楽がUnitedするとはどういうことでしょうか。

具体的には何が起こり、どんな活動が盛んになるのでしょうか。

例えば、そのベーシストの方は、このようなことを言っているといいます。

「おれがオンラインを通して、延々とベースラインを弾いているとする。そしたら、だれかがドラムをたたきはじめて、ギタリストがリフを弾きだして、

いつの間にか歌が入ってて、気づいたら曲を演奏しているんだ」

まさにそんな感じで、音楽を通じたコミュニケーションがより活発化していき、コミュニケーションを介した活動に付加価値がつくようになるということです。

より具体的に考察すると・・・

・新しいジャンルや技術やメディアとひとりの天才が登場するたびに、停滞していたシーンが活性化し新たなムーブメントが起こる

ということが期待できないのですから、天才的に一発当てようとか、新しい作曲法の発明とか、曲自体の新奇さで勝負しようとしても無駄。

どんなにがんばってつくりこんだって、それはModification、過去のModificationのさらなるModificationにすぎない。だから、そこで張り合っても意味がない。

競争で負かされるスキル勝負をしたって、自分より優れたヤツはいくらでもいるんだから、無駄。

となると、ムリに新しい境地を開こうとするのでなく、自分のネイティブに忠実になって、純粋にシンプルな音、古典的な音、基本にかえっていく。

そこには新らしい発明はないかもしれないが、それをいまの現代人がやるということに意味がある。

・一人一人が個性に特化したネイティブ音楽が活性化する

ネイティブ音楽といっても、民族楽器とか使うものという意味じゃなく、自分が心の底から好きでやり続けることができるジャンルということです。

DTMが好きなヤツ、ジャズが好きなヤツ、アニソンが好きなヤツ、ゲーム音楽好きなヤツと、一個のジャンルに特化して追求していく活動が活性化する。

さらに、ここから先が重要で、似たようなジャンルの人たちや、あるいはまったく異なるジャンルの人が自主的に交流して、金儲けとか抜きにして、
何か一緒に面白い音楽をつくる。そして、人々を巻き込む。

音楽が鑑賞されるべき作品でなく、コミュニケーションを促す場として機能するようになるのです。今までもそのような働きはありましたが、

これから先はよりその性質が顕著になっていくのです。

だから、ひたすらギターやピアノに向き合って、譜面をぐしゃぐしゃしながら、あーでもないこーでもないとかいいながら音楽を発明し・・・

なんていう作り方は、どんどんなくなっていく。

話の中で面白い例が出たのですが、

「プロデューサーが有力な新人を発掘したとする。音源を聴く。

すると、確かに優れている。演奏も曲も完璧。サウンドも磨き込まれている。悪いところは見当たらない。

充分予算をかけてプロデュースするに値する。しかし・・・彼はふと気づいてしまう。

『なんだ、これってクリムゾンじゃん』

となると、もうそこで終わりだ。」

実際によくある茶番です。経験ある年長者がフレッシュな若者の作品を「それはあれね」とか言って一言のもとに切り捨て、作曲者の人生の方は無視する。

これってたまったもんじゃないんですよね。作った本人は、別にクリムゾンを意識していたわけじゃないのかもしれないのに。

優れているとしても(むしろ優れているがゆえに)キング・クリムゾンの焼き直しだとか断定されてしまって、それだけで却下されるわけです。

現場でこんなことが繰り返されていたら、いつまでたっても新人は育ちません。

たしかに、音はクリムゾンに似てたとしても、彼らの活動モデルがユニークだとしたらどうでしょうか。

たとえば、CDを無料でばらまき、ライブ録音OK、メールマガジンでファンクラブを自主運営、さらにスタジオで定期的に音楽講座をひらき、生徒からも作品のアイデアを募集して、

コミュニティ単位で作品制作をしていたりしたら?

それはそれで、存在意義がありますよね?

社会に対して機能を与えています。これはつまり、

クリムゾンキングの宮殿は開かれた!

ということです(W///・・・ちょっと言いたかっただけ)

音楽に新規性がなくとも、きちんと音楽で生産的な機能をもたらしているのです。

だから、今に生きるミュージシャンは、音楽面での決定的な天才的なスキルというよりは、

生き様やキャラクター、社会に対するユニークな貢献などで独自性を発揮することで注目されるようになるのです。

人々は、もう作品では選べなくなっている。だから、「誰がそれをやっているのか」「音楽人として何をしているのか」

という点で、その人を支持することになるのです。

そういう意味で、アーティスト自身が作品をシコシコと一生懸命つくるような音楽の作り方は、どんどん少なくなっていく。一部先端をいく人をのぞいては、

技術よりも在り方を磨く方が重要になっていくということです。

ミュージシャンの多くが、中田ヤスタカというよりは、岡本太郎的になっていくのかもしれません。

作品を爆発的に売って儲けなくても、ネット上で影響力をつけて応援してくれる人が100人もいれば、それだけで生活はできるようになるからです。

そういう意味で、自分のファンとの関係や、他者とのコラボレーションなどが、重要になっていく。

イコール、人とのつながり、ユナイテッドです。

これって、もともと音楽の本来の在り方なんじゃないかなと思います。

祭りにて、仲間たちと火を囲み、歌をうたい、ギターを弾き、曲ができ、引き継がれていく。作者は不詳、作者はみんな。著作権なんてない。

はじめからユナイテッド。音楽はみんなをつなげるコミュニケーション。

曲は、気がつけばそこにあるもの。そんな歌が、昔はたくさんあったはず。

ぼくたちは、無理矢理音楽を作り続けてきた。カネのために。

でも、もうそれが苦しくなってきた。

どうやら、一世紀あまりの技術革命時代を経て、ひとまわりして戻ってきたのかもしれませんね。

業界の大御所たちがこのことを感じているんです。

いま、間違いなく、時代の転換期が訪れています。

あなたは、何をしますか?


ModificationとBasic Technology


YOAKE MUSIC SCEAN 2014 レポート&スタディ 第2回です。

今日のテーマは

Modification(修正・変更)とBasic Technology(基幹技術)

です。

これは椎野秀聰さんのお話であったのですが、

世の中の流行や盛り上がっている活動、商品、娯楽、産業などは、一見革新的な開発のように見えるものであっても、

そのほとんどがオリジナル技術のModification、つまり修正版とか翻訳版とか応用版であるということです。

これは、パクリとか非オリジナルとか、そういう批判的な文脈を意味しているのではありません。

経済活動や文化活動においては、

このModificationという概念のもとに新しい活動やアイデアを創造していくことが基本であるという、技術者や開発者側の姿勢のひとつです。

基礎理論や基幹技術(Basic Technology)を尊重し、その可能性をどれだけ引き出すことができるか、そこに全力で向き合うという態度です。

革新的な理論や科学技術の大発明などは、一世紀に数えるほどしか生まれないわけで、その開発に従事するのは一部の大専門家や天才たちにまかせて、

多くの人々はModification というフィールドの中において自分の創造性を追求していくわけです。

これは、椎野さんの楽器開発者としての経験から語られていることなので、非常に納得できます。

で、この考え方は、何も技術屋の世界だけの話ではなく、どの分野にもあてはまることだと言えます。

民衆音楽で言えば、大雑把にくくれば、そのほとんどはビートルズというオリジナルのModificationです。

さらに言えばビートルズだって、古典和声をベースにした楽曲構造は、バッハ・モーツァルト・ベートーベンなどクラシック音楽のModificationです。

ほとんどのロックはビートルズのModification、古典音楽のModification、またはその融合(Fusion)、その融合のModificationであったりするわけです。

ここで、前回の話とつながってくるのですが、

今までは、新たなModificationとしての新しい技術やメディアが生まれるたび、

それを使いこなす天才が登場して、全世界に爆発的に広める、という現象が起きていました。

その例として、

Jimi Hendrix × エレキギター
Arcade Fire × Pitchfolk
RUN-DMC × 白人ロック

などをあげましたね。

ですが、いまはこの現象が起きにくくなっている。天才自体あらわれにくくなっているし、そもそも新しいModification技術自体が、

それほど革新的なものが生まれにくくなっている。または、生まれてもマニアックな部分での拡大に留まってしまう。

一部の天才や新しい技術の登場に頼る時代は終わったということです。

それでは、これからの音楽にたずさわるものの姿勢はどうすればいいのか。

BLUE NOTE RECORDS. のCEOのドン・ウォズに取材した雑誌『WIRED』編集長の若林恵さん。ドンは次のように述べていると伝えています。

これからの音楽、またはミュージシャンは・・・

・無駄なものを排除して、経営をスマートにしろ
・音楽で大もうけできる時代は終わった。もう一発当てる必要はない。ふつうにくらせるだけ稼げればいいだろ
・それと、まあ・・・クソなレコードをつくらないことだな!!

と。

本記事はこちら。

http://wired.jp/2013/07/06/don-was/

つまり、音楽産業が巨大になりすぎて、成長しすぎて、何か音楽が権威的な、憧れ的な目でみられるようになってしまったので、

もうそれはやめろよと。

無理に新しいModificationを生もうとしたり、天才を目指したりしても無駄で、それぞれここの分野にしぼって活動していけばいいということです。

無理にマーケティングしたりメジャー展開しても苦しいということですね。クソなレコードが大量発生するしw

そんなことしなくても、最小限の活動で生活できるくらいの基幹技術は整っているんだから、

欲張って儲けるよりは、純粋に音楽をやれよ!ということです。

ましてや完全オリジナル、Basic Technologyを生み出そうなんてことは考えるな。そんなのは目指してやるもんじゃないし、

好きなことを追求し続けていれば勝手に生まれるものだ・・・・。

非常にシンプルな結論に立ち返ったわけですね。大衆に翻訳されるための音楽記号の開発にいそしむのではなく、

自分の内側からくる、ネイティブで純粋な音楽言語を発信していけよ!ということです。

オリジナルでなくてもいいが、ネイティブであれ!ということですね。これっていい考えですよね。

ほとんどの人類の活動がModificationであることを受け入れ、その上で自分のネイティブなアイデア、表現方法は何か、ということを考えて、

活動していけばいいのです。かんたんなことですが、自分自身と向き合うということですね。

本当にビッグに売れたいのか?本当にその音楽をやりたいのか?カネや名誉や変なプライドに囚われすぎていないか?ということを自分に問い、

自分がやっている音楽を、いま、本当に楽しめているのか?ということを考え続ける、ということです。

今日は、ちょっと難しい話だったかもしれません。

でも、非常に大事な話です。さすが椎野さん、大物は一言一言に含蓄と重みがあります。

おわり。

ありがとうございました。

追記

ちなみに、基幹技術(Basic Technology)の部分を生み出す人々は、

フランス人だそうです。フランスは他民族国家で、個性的な人が多い。いろんな独自の価値を開発しているおもしろい人がたくさんいるそうです。

だから、オリジナルがたくさん生まれる。さすが芸術の国ですね。

しかし彼らはビジネスが不得意なので、世界中のビジネスマンらが群がってなんとか広める、日本などのすぐれたものまねコピー屋(w)・Modifierたちが翻訳・修正して

広める、という構図が生まれるわけです。

エジソンの前に蓄音機を作ったヤツが二人もいた国ですからね。おそろしいところです。

ほんとにオリジナルを追求したいと思ったら、フランスにいくしかないですね。


音楽は無価値になった


引き続き、2013年11月16日に開催されたTOKYO BOOT UP Conference Dayで得た情報を公開しています。

今日は、コンテンツとしての音楽の未来について話します。

結論からいいますと、音楽のデータ化の発達とストリーミング配信・ダウンロードサービスがインフラ化した現代において、

音楽の経済的価値というのは、事実上かぎりなく0になりました。

その上で、音楽をコンテンツとして扱い、収益を発生させるために、業界は新たなるサービスモデルを構築しなければならない、そういう局面に立たされています。

音楽に事実上経済的な価値がなくなってしまったというのは、解説するとこういうことです。

販売されている音源というのは、どんな形式であっても、所詮はマスター音源の「コピー」です。データのコピーでしかない。

オリジナルの制作にかかるコストは最初だけ。コピーにかかるコストなんてないのです。限界効用が働かない。

物質的にみれば、データのコピーに価値はないのです。また、流通に関しても、物理的な移動を伴わない、ただアップロードするだけなので、コストはありません。

もちろん、ジャケットやCDなどの物理的なパッケージを伴う場合は、限界費用は上がりますが、それも今はダウンロード販売が主流になったので、事実上なくなりつつあります。

データ配信が主流になり、コピーだけで商品が生み出せて、再生産のコストが限りなく減ることで、流通にかかるコストもなくなった。

すると、事実上、物質的な意味では音楽制作物に価値はないと言えるのです。

ただ、あくまで物質的な意味ではですので、情報的な価値はあります。

誰々がつくったこういう物語の曲だから・・・というストーリーに価値を感じるわけです。

だから、音楽をコンテンツとして扱うには、音楽そのものに付加価値をもたせようとするのが厳しくなっています。

どこを売りにしたらいいのか。どこにキャッシュポイントをつくるのか。格業者はそこのアイデアを考えるために頭をしぼっています。

わかりやすい例が、AKBにみられる握手権商法です。

あれは、音楽に価値があるのではなく、あきらかにアーティスト本人へのアクセス権が手に入るという、

「唯一無二の物理的価値」に価値があるわけです。音楽はコピーできても、人間はコピーできませんからね。

つまり、「音源に価値をもたせるのはきついから、歌っている本人に価値をもたせなきゃね」といって、

CDに何か、マテリアルベースの付加価値をつけることになった。それで、握手権とかブックレットとかのおまけが充実するようになったわけです。

日本でCDがまだ売れる理由はここにあります。日本はCD販売のサービスが段違いに良いのです。

日本では当たり前ですが、海外のCDなんて、ジャケットの質とか、歌詞カードがないとか、アーティストの詳細がないとか、不備がいろいろあって、

買う意味がほとんど感じられないそうです。だから、海外でCDを買う人はほとんどいないそうです。

音楽そのものでなく、何かアーティスト本人に関連したわかりやすい物理的な価値を付加してやる、というのが第一の戦法です。

制作にあたる側としては、とくにエンジニア系の人は、このやり方に猛烈な憤りを感じているようですね。

じぶんらが命を削って仕上げた作品が、ゴミ同然のように扱われる。まるでビックリマンチョコのように、シール(握手権)めあてで何枚も買われて、

チョコ(CD)本体は捨てられる。つくった側としては、許せない!となるのは当然です。

で、ほかには、サービスモデルをチェンジすることで、収益ポイントをずらすということがあります。

音源では回収できないので、いろいろサービスを考えて、構造的にキャッシュを発生させるというわけです。

そこで注目されているのが、Spotifyにみられるフリーミアムモデル、サブスクリプションモデル、チャンネル登録制モデルなどの形態です。

音源自体は無料で、より上位のサービスやハイレゾ音源の配信などは課金、というシステムです。

日本ではまだCDが売れており、Spotifyも参入できていませんけど、世界の音楽市場はすでにこのモデルが主流になっています。

Spotifyが参入していない国は日本ぐらいなものです。しかし、さすがにもう限界でしょう。

日本はこれでも世界一の音楽市場なんです。

必ずSpotify、またはそれに類似したサービスがインフラ化されます。

音源にはもはやまったく価値のない世界がやってくるのです。いや、もはやそうなっている。

この現実と向き合い、どのように音楽をコンテンツとして扱っていくか。音楽に携わる人は等しくこの課題に取り組まないといけませんね。

レコード会社や音楽出版社のように、業界の未来が見えなくなっちゃって、ひたすら制作者や作家を搾取し続けることしか考えなくなるような、

そんな風には決してなりたくはないですからね。

今日は以上です。